みなさんこんにちは!
かつて画家として活躍していた「バルテュス」。
ピカソに「二十世紀最後の巨匠」と絶賛され、20世紀を代表する画家として世界中にその名を知られている人物です。
- 「少女をモチーフにした印象的な絵」
- 「約21億円で落札された作品」
そんなキーワードとともに語られることの多いバルテュスですが、
「そもそもどんな画家なの?」
と気になっている方も多いのではないでしょうか。
そこで今回は、バルテュスについて、プロフィールから経歴や代表作まで、wiki風にまとめて解説します。
読み終える頃には、バルテュスがどんな画家だったのか、その魅力がしっかりつかめるはずです。
▼この記事でわかること
- バルテュスとは何者か、プロフィールをwiki風に紹介
- 天才少年の誕生からヴィラ・メディチ館長、晩年までのバルテュスの経歴
- 《ギターのレッスン》《夢見るテレーズ》など、代表作を一挙解説

それではみなさん、一緒に確認してきましょう♪
節子夫人についてはこちらです♪

「二十世紀最後の巨匠」バルテュスとはどんな画家?プロフィールをwiki風に紹介
バルテュスはフランスを代表する具象画家で、ピカソに「二十世紀最後の巨匠」と称えられた人物です。
ここからは、バルテュスのプロフィールをもう少し詳しく見ていきましょう。
バルテュスの基本プロフィール
Balthus and his wife Setsuko Klossowska de Rola.
Bruce Weber photo. pic.twitter.com/EELaITwZ7W— El Eremita (@dinamittEros) March 28, 2020
バルテュスの基本プロフィールは、以下の通りです。
| 本名 | バルタザール・ミシェル・クロソウスキー・ド・ローラ |
| 通称 | バルテュス (Balthus) |
| 生年月日 | 1908年2月29日 |
| 没年月日 | 2001年2月18日 (享年92歳) |
| 出生地 | フランス・パリ |
| 国籍 | フランス (ポーランド系) |
| 職業 | 画家 |
| ジャンル | 具象絵画 新古典主義 |
| 主な受賞歴 | 高松宮殿下記念世界文化賞 (絵画部門・1991年) |
| 活動拠点 | フランス・パリ イタリア・ローマ スイス・ロシニェール |
「バルテュス」という名前は、本名「バルタザール」をもとにした幼少期のニックネームです。
12歳のときに出版した詩画集『ミツ』のペンネームとして使ったのが最初で、そのまま画家としての活動名になりました。
バルテュスが注目される理由──ピカソも絶賛した「唯一無二の具象画家」
バルテュスが今も語り継がれる最大の理由は、20世紀の美術界でどのイズムにも属さなかった「唯一無二の具象画家」だったからです。
キュビスムやシュルレアリスムが席巻していた時代に、バルテュスはそのどちらとも距離を置きました。
古典絵画の巨匠を模写することで習得した確かなデッサン力と、独特の静謐な室内画といったスタイルは同時代のトレンドとは明らかに異質でした。
調べてみて驚いたのが、ピカソが直接アトリエを訪ねてきたというエピソードです。
「二十世紀最後の巨匠」と称えただけでなく、1941年にはピカソがバルテュスの《ブランシャール家の子どもたち》を自ら購入しています。
その作品は後にルーヴル美術館に展示されることになるんですが、生存中にルーヴルで展示された画家は非常に少ないんですよね。
そう考えると、美術史におけるバルテュスの立ち位置の特別さが伝わってくる気がします。
また、バルテュスは「絵画は見るべきものであって読むべきものではない」という信条を持ち、1968年の回顧展ではテート・ギャラリーに対して「伝記情報は一切不要、作品だけを見てほしい」という趣旨の電報を打ったことでも知られています。
自分の作品を語らず、絵そのものと向き合わせようとする姿勢こそがバルテュスという画家の神髄なんだと感じます。
- バルテュスはピカソに「二十世紀最後の巨匠」と称えられたフランスの具象画家
- どの美術運動にも属さず、古典模写を礎にした独自のスタイルを生涯貫いた
- 生存中にルーヴル美術館で作品が展示された数少ない画家のひとり

ピカソが直接会いに来るなんて、それだけでバルテュスの存在感の大きさが伝わりますよね。
「絵だけを見てほしい」という姿勢も、個人的にとても格好いいなと思います。
バルテュスの経歴は?天才少年の誕生から晩年の隠棲生活まで
バルテュスの経歴を大まかに整理すると、以下の通りです。
- 1908年:フランス・パリで芸術家一家に生まれる
- 12歳頃:詩画集『ミツ』を出版し、「バルテュス」の名が生まれる
- 1934年:パリ画壇にデビュー、《ギターのレッスン》で大きな波紋を呼ぶ
- 1964年:ローマのヴィラ・メディチ館長に就任
- 1991年:高松宮殿下記念世界文化賞(絵画部門)を受賞
- 2001年:スイス・ロシニェールの山荘で永眠
このあと、それぞれの時期をもう少し詳しく見ていきましょう。
芸術一家に生まれ、ほぼ独学で絵を習得した少年時代
バルテュスは1908年、父が画家・美術史家、母も画家という芸術一家のもと、パリで生まれました。
兄のピエール・クロソウスキーは後に哲学者・作家として活躍した人物で、家全体が文化・芸術と深くつながっていました。
幼少期には自宅に詩人のライナー・マリア・リルケや小説家のアンドレ・ジッド、画家のピエール・ボナールといった当時一流の芸術家たちが頻繁に訪れていたといいます。
驚かされるのが、12歳頃に愛猫を描いた40点のドローイング集『ミツ』を出版していること。
リルケが序文を寄せたというから、幼少期の才能がいかに際立っていたか伝わりますよね。
この詩画集で使ったペンネームが「バルテュス」で、そのまま画家としての名前になりました。
16歳でパリへ戻り、美術学校グランド・ショミエールに自由聴講生として通いながら、ルーヴル美術館でプッサンやピエロ・デラ・フランチェスカのフレスコ画を模写する日々を送りました。
18歳にはイタリア・フィレンツェを訪れ、ルネサンスの巨匠たちの技法をさらに吸収しています。
てっきり名門美術学校を卒業した画家だと思っていたんですが、ほぼ独学がメインだったと知って、改めてそのすごさを感じました。
パリ画壇デビューとスキャンダル、国際的名声への道
バルテュスが本格的に画壇に登場したのは1934年、パリのピエール画廊での初個展でした。
このとき展示した《ギターのレッスン》が大きな波紋を呼び、一夜にしてバルテュスの名はパリ中に知れ渡ります。
同作については後の「代表作」の章でも触れますが、バルテュス自身が後年「当時あまりに困窮していたため、早く名を上げたいと思って描いた」と振り返っているのが印象的ですね。
その後、1937年にアントワネット・ド・ワットヴィルと最初の結婚をし、翌年にはニューヨークのピエール・マティス画廊でも個展を開催。
国際的な評価が徐々に高まり始めます。
その後、妻とともにパリからスイスへ移りました。
1941年にはピカソがバルテュスの《ブランシャール家の子どもたち》を購入し、後にルーヴル美術館に収蔵されるという快挙も達成します。
1962年、パリでの日本美術展選定のために訪れた東京で、後に再婚相手となる節子(当時20歳)と出会います。
節子夫人については、こちらの記事で紹介しています。

ヴィラ・メディチ館長就任からスイスでの晩年まで
Annibale Lippi, Bartolomeo Ammannati e Nanni di Baccio Bigio, Villa Medici, 1564-1580. Roma. pic.twitter.com/oztuU16JdP
— La Pagina dell’Arte (@LaPaginaArte) August 1, 2025
バルテュスの経歴において、ひときわ印象的なのが1964年のヴィラ・メディチ館長就任です。
ヴィラ・メディチとは、ローマにある在ローマ・フランス・アカデミーの拠点で、芸術家の文化交流を担う重要な施設です。
当時の文化大臣アンドレ・マルローに直接指名されたという点が、バルテュスの社会的評価の高さを物語っていると思います。
長いイタリア生活の後、バルテュスはスイス・アルプスの麓の村ロシニェールにある大きな山荘(グラン・シャレ)へ移り住みました。
そこで節子夫人と娘の春美(ハルミ)とともに静かに制作を続け、晩年まで過ごしています。
1991年には高松宮殿下記念世界文化賞の絵画部門を受賞。
1993年には東京ステーションギャラリーで回顧展も開催され、日本でも大きな注目を集めました。
日本文化に強く傾倒していたバルテュスにとって、日本での回顧展は格別な出来事だったのではないでしょうか。
山荘には勝新太郎が招かれ居合抜きや三味線演奏を披露したこともあるそうで、リチャード・ギアやデヴィッド・ボウイとの親交もあったといいます。
2001年2月18日、バルテュスはスイスのロシニェールで静かにその生涯を閉じました。
92年という長い生涯を、まさに20世紀とともに生き抜いた画家でした。
- バルテュスの経歴は、独学での修業からパリ画壇デビュー、ヴィラ・メディチ館長就任まで波乱に富むもの
- ルーヴル美術館に生存中に作品が収蔵された、非常に少ない画家のひとり
- 1991年に高松宮殿下記念世界文化賞(絵画部門)を受賞した、国際的に評価された存在

独学でルーヴルの模写から始まって、最終的にはルーヴルに自分の作品が飾られる画家になるなんて、なんだか映画みたいなエピソードですよね。
バルテュスの代表作とは?注目の名作を一挙紹介
バルテュスの代表作には、その名を広めるきっかけにもなった《ギターのレッスン》や、美学が凝縮された《夢見るテレーズ》などがあります。
ここからは、それぞれの作品をもう少し詳しく見ていきましょう。
《ギターのレッスン》──パリを震撼させた話題作
バルテュスの代表作として真っ先に挙げられるのが、1934年制作の《ギターのレッスン》です。
油彩作品で、サイズは161cm×138.5cm。
女性教師の膝の上に横たわる少女を描いたこの一枚は、パリ画壇の初個展で大きな波紋を呼びました。
現在は公的美術館ではなく個人コレクションにあるとされていますが、その所在や流通については諸説があり、確定情報は限定的です。
バルテュス自身が挑発性を意識した制作態度を語っていたとされる点も、この作品の評価をより複雑なものにしています。
「バルテュスを語る上で必ず引用される一枚」とされるのも、美術史的評価と議論性の両面を併せ持つ作品であるためです。
《夢見るテレーズ》──バルテュス美学の結晶
バルテュスの代表作のなかでも、《夢見るテレーズ》(1938年)はその美学が最もよく表れた作品として知られています。
モデルは、アトリエの近所で出会ったテレーズ・ブランシャールという少女です。
物思いにふけったような表情で椅子に座る姿が描かれており、現在はニューヨークのメトロポリタン美術館に収蔵されています。
バルテュスはテレーズについて、「これから何かになろうとしているが、まだなりきっていない」という言葉を残していたといいます。
つまりバルテュスにとっての「美」は、完成された状態ではなく「移行している状態」にこそあったわけです。
その美学に基づいてモデルと向き合い続けた姿勢は、なかなかできることではないと思います。
テレーズをモデルにした10点の作品のうち最後の一枚《ベンチシート上のテレーズ》は、2019年のクリスティーズ・オークションで約21億円というバルテュスの作品最高額で落札されています。
その数字が、この連作の持つ芸術的な評価の高さを如実に示しているように感じます。
こちらの動画でバルテュスの作品が紹介されていました。
バルテュスの妻、節子夫人についてはこちらの記事で紹介しています。

そのほかの主要代表作
バルテュスの代表作は《ギターのレッスン》《夢見るテレーズ》だけにとどまりません。
主な作品を一覧にまとめてみました。
- 《鏡の中のアリス》
(1933年・ポンピドゥーセンター)
ルイス・キャロルの世界に着想を得た、静謐な室内画 - 《キャシーの化粧》
(1933年・ポンピドゥーセンター)
エミリー・ブロンテの『嵐が丘』から着想した作品で、初個展にも出品 - 《猫たちの王》
(1935年・バルテュス財団)
猫を愛したバルテュスらしさが光る一枚 - 《山》
(1937年・メトロポリタン美術館)
スイスの自然と人物が溶け合う大作 - 《美しい日々》
(1944〜46年・ハーシュホーン博物館)
静謐な室内に差し込む光が印象的な傑作 - 《コメルス・サンタンドレ小路》
(1952〜54年・個人蔵)
パリの路地を描いた風景画の名作
東洋の山水画や浮世絵の影響を受けた晩年の風景作品群も、バルテュスの画業を語るうえで欠かせない存在です。
「少女画の画家」というイメージが強い方も多いと思うんですが、実はこれだけ幅広い作品世界を持っていたんですよね。
知れば知るほど、バルテュスという画家の奥深さを感じます。
- 《ギターのレッスン》は長期間あまり公開されなかった
- 《夢見るテレーズ》はバルテュスの「移行する美」の美学が凝縮された傑作
- 代表作はメトロポリタン美術館・ポンピドゥーセンターなど世界の一流美術館に収蔵されている

バルテュスの代表作を通じて経歴がつながって見えてくるのが面白いなと感じます。
【まとめ】”二十世紀最後の巨匠”バルテュスはどんな画家?経歴や代表作をおさらい
今回は、バルテュスのプロフィールから経歴や代表作までをwiki風にまとめてご紹介しました。
どの美術運動にも属さず、独自の具象絵画の世界を生涯貫いたバルテュスの足跡、少しでも伝わっていれば嬉しいです。
- バルテュスはピカソに「二十世紀最後の巨匠」と称えられたフランスの具象画家で、新古典主義の立場から独自の画風を確立した
- ほぼ独学で技術を磨き、ヴィラ・メディチ館長就任・高松宮殿下記念世界文化賞受賞という輝かしい経歴を持つ
- 代表作《ギターのレッスン》《夢見るテレーズ》などは世界の一流美術館に収蔵されており、今もなお高い評価を受けている

バルテュスの生き方って、自分のスタイルを絶対に曲げないところが本当に印象的でした。
作品も人生も、一度じっくり向き合う価値がある画家だと思います!
バルテュスの妻として知られる、井出節子さんについてはこちらの記事でまとめています。

参考サイト


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