みなさんこんにちは!
スイスの大自然に囲まれながら、優雅な日々を送る日本人女性のマダム節子さん。
そのお名前は正式にはセツコ・クロソフスカ・ド・ローラ伯爵夫人といい、20世紀最後の巨匠と称された画家バルテュスの夫人として、世界的に知られる方です。
スイスの歴史的な豪邸「グラン・シャレ」での暮らしぶりがたびたび話題になり、「一体どんな人なんだろう?」と気になった方も多いのではないでしょうか。
そこで今回は、マダム節子さんのwiki風プロフィールやこれまでの経歴について、詳しくまとめてみました。
読み終える頃には、マダム節子さんの本名や年齢から、そのドラマチックな人生の歩みまで、まるごとイメージできているはずです!
▼この記事でわかること
- マダム節子のプロフィール
- ローマ・スイスと続く国際的なこれまでの経歴

それではみなさん一緒に確認していきましょう♪
夫で画家のバルテュスについては、こちらの記事でまとめています。

バルテュス財団名誉会長・マダム節子の年齢は84歳!日本での本名”出田節子”とは?
マダム節子さんの年齢は2026年現在で年齢は84歳。
日本での本名(旧姓)は出田節子(いでたせつこ)です。
ここからは、その背景についてもう少し詳しく見ていきましょう。
1942年東京都生まれ。「出田節子」から世界的なバルテュス夫人へ
Quelle joie de retrouver#Setsuko Klossowska de Rola
Une grande Dame de l’Art et de la Culture
qui a partagé sa vie avec #Balthus
Une magnifique exposition lui est consacrée à la galerie @Gagosian
🇯🇵🇫🇷🇮🇹🇨🇭 pic.twitter.com/91EGjtJQ0a— Masset Christian (@chr_masset) September 8, 2022
マダム節子さんは1942年に東京都でお生まれになり、2026年現在で84歳をお迎えです。
日本での本名(旧姓)は出田節子。
読み方は「いでたせつこ」です。
「出田(いでた)」姓は、熊本県を中心に見られる名字で、熊本県菊池市周辺の「出田」という地名に由来すると考えられています。
菊池地域は、中世に菊池一族が本拠を置いたことで知られており、地域名をもとにした名字も多く存在しました。
そのため、「出田」姓についても、菊池郡出田村などの地名との関わりや、菊池氏ゆかりの土地とのつながりがある可能性が語られることがあります。
マダム節子さんの先祖や家系については、こちらの記事で詳しくまとめています。

菊池一族との関係や、西郷隆盛・毛利元就とのつながりが語られる背景など、歴史ロマンを感じる内容も掘り下げているので、気になる方はぜひチェックしてみてください。
「出田節子」から「マダム節子」まで、呼び名が多すぎる理由
マダム節子さんには、調べていて驚くほど複数の呼び名が存在しました。
主なものをまとめると、以下の通りです。
- セツコ・クロソフスカ・ド・ローラ(現在の正式名)
- Setsuko Klossowska de Rola(英語表記)
- 出田節子(日本での旧姓・本名)
- マダム節子(愛称)
- マダムセツコ(愛称)
- ド・ローラ節子夫人
- バルテュス夫人
これだけ呼び名が多いのは、日本とヨーロッパをまたいで長年活躍されてきたからこそなんですよね。
情報を探すときに「どの名前で調べればいいんだろう?」と少し迷ってしまうくらいです(笑)
ちなみに、同じ時代に「日本人女性が外国の著名人の夫人となった」例でいえば、デヴィ夫人(1940年生まれ・インドネシア元大統領夫人)ですよね。
- マダム節子さんの日本での本名(旧姓)は出田節子(いでたせつこ)で、1942年生まれの現在84歳
- 呼び名はセツコ・クロソフスカ・ド・ローラ、マダム節子、バルテュス夫人など複数あり、日欧にまたがる活躍の歴史が背景に

「Setsuko Klossowska de Rola」というお名前を初めて目にしたとき「どう読むの!?」ってなりました(笑)
「出田節子」という日本名と並べると、その人生の振り幅が余計に感じられますよね。
マダム節子(出田節子)のwiki風プロフィール!森村学園から上智大学へ
ここからは、出田節子さんのプロフィールを見ていきましょう。
出田節子(いでたせつこ)のプロフィール
In tutta la mia vita ho messo l’amore prima di tutto, e anche a Roma sono venuta per amore. Setsuko Klossowska de Rola, artista giapponese, costruisce una tela di memorie della sua vita a Villa Medici con Balthus tra il 1963 e il 1977. Qui https://t.co/Y4LtyTyHfI pic.twitter.com/TUYSXmW3Dn
— Rai Radio3 (@Radio3tweet) October 4, 2022
| 日本での本名(旧姓) | 出田節子 (いでたせつこ) |
| 現在の正式名 | セツコ・クロソフスカ・ド・ローラ |
| 英語表記 | Setsuko Klossowska de Rola |
| 生年 | 1942年 |
| 年齢 | 84歳 (2026年現在) |
| 出身 | 東京都 |
| 学歴 | 森村学園高等部卒業 上智大学外国語学部フランス語学科中退 |
| 職業 | 画家 随筆家 作陶家 |
| 称号・肩書き | バルテュス財団名誉会長 ユネスコ平和芸術家(2005年〜) |
| 現在の居住地 | スイス・ロシニエール (グラン・シャレ) |
| 娘 | ハルミ・クロソフスカ=ド=ローラ (1973年生まれ・ジュエリーデザイナー) |
| 主な愛称 | マダム節子 マダムセツコ ド・ローラ節子夫人 バルテュス夫人 |
森村学園から上智大学フランス語学科へ。学歴の土台が運命を変えた?
マダム節子さんが通われた高校は、神奈川県横浜市にある森村学園高等部です。
卒業後は上智大学外国語学部フランス語学科へと進学されました。
この学歴の選択が、のちのバルテュスとの出会いに直結していると考えると、改めてその意味の大きさを感じます。
フランス語を身につけていたからこそ、フランスの文化圏に生きたバルテュスと対等にコミュニケーションができたというのは、決して偶然ではないでしょう。
てっきり最初から「ヨーロッパで暮らすつもりだった」のかと思っていたのですが、当時は普通の大学生として学んでいたわけですよね。
一見「普通」に見える学びの積み重ねが、思いもよらない出会いへの扉を開くことがある、
そんなことを実感させてくれるエピソードだと思います。
ちなみに森村学園は1910年創設の歴史ある私立一貫校で、現在も神奈川県横浜市に中学・高校が置かれています。
知的で国際的な素養を育む環境が、マダム節子さんのその後の歩みの土台になったんだと思いますね。
- マダム節子さんは森村学園高等部を卒業後、上智大学外国語学部フランス語学科へ進学
- フランス語を学んでいたことが、バルテュスとの運命的な出会いへの素地となった

フランス語を選んだことが、まさかこんな形で人生を動かすとは……!
「学ぶこと」って本当に可能性が無限大ですよね。
マダム節子(出田節子)のwiki風経歴まとめ!バルテュスとの出会いから現在まで
マダム節子さんの経歴は、1962年のバルテュスとの出会いを起点に、ローマ→スイスと続くドラマチックな歩みです。
それぞれのエピソードを、順を追って見ていきましょう。
1962年、20歳での運命的な出会いと1967年の結婚
マダム節子さんとバルテュスが初めて出会ったのは1962年のこと。
出田節子さんがまだ20歳の大学生だったときです。
当時バルテュスは、パリで開催予定の日本古美術展に出品する作品を選ぶため、来日していました。
そこで上智大学外国語学部フランス語学科に在籍していた出田節子さんと出会い、互いに強く引かれ合ったといいます。
バルテュスは「節子をひと目見たとき、自分が憧れていた日本の形がその姿のうちに秘められているのがわかった」という言葉を残しており、その出会いがいかに鮮烈なものだったかが伝わってきますよね。
そして1967年、マダム節子さんは大学を中退してバルテュスと結婚。
当時のバルテュスは54歳で、マダム節子さんとの年齢差は34歳という、国境も年齢も超えた出会いでした。
「大学を中退してまで」という決断の重さに、それだけの覚悟と確信があったんだろうなと、調べていて改めて感じました。
マダム節子さんの家系についてはこちらの記事で詳しくまとめています。

ローマのヴィラ・メディチからスイスのグラン・シャレへ
結婚後のマダム節子さんは、バルテュスが館長を務めるローマのアカデミー・ド・フランス(ヴィラ・メディチ)での生活へと入っていきます。
このローマ時代は1977年の退任まで、実に約15年間に及びました。
ヨーロッパ芸術の中心地のひとつで夫の大きな仕事を支え続けた約15年の経験が、マダム節子さん自身の感性と表現力を育てていったのだと思います。
1977年、バルテュスの退任を機に移り住んだのが、スイス・ロシニエールにある「グラン・シャレ」です。
1754年に建てられたこの建物は、スイス最大級の木造建築のひとつで、40を超える部屋を持つ壮大な山荘です。
かつてはホテルとして使われていたこともあるほどの規模で、その豪邸での暮らしぶりが日本でも「まるで映画のワンシーンのよう」と話題になっています。
実際に写真を見てみると、スイスの大自然と歴史的な木造建築が調和したその景観は、確かにため息が出るほどの美しさで、「これが日常なのか……」とただただ圧倒されました。
グラン・シャレについてはこちらの記事でご紹介しています。

マダム節子の現在は画家・随筆家・作陶家として第一線へ
2001年にバルテュスがその93年の生涯に幕を下ろすと、マダム節子さんは翌2002年にバルテュス財団を設立し、名誉会長に就任されました。
そして2005年には、ユネスコ平和芸術家(UNESCO Artist for Peace)の称号を授与されています。
これは芸術と平和の促進に貢献した人物に贈られる国際的な称号で、マダム節子さんの活動が世界規模で高く受け止められている証といえるでしょう。
調べていて一番驚いたのが、その活動の広さです。
画家として水彩・グアッシュ・墨による作品を欧米各地で発表し、随筆家として日本の出版社から多数の著書を出版、さらに作陶家として陶器制作にも取り組んでいます。
「油絵ではない絵を描きなさい」というバルテュスの言葉が、画風の土台になったというのも印象的なエピソードですよね。
さらに2013年以降は、フランスのライフスタイルブランド「アスティエ・ド・ヴィラット」とのコラボレーションも実現。
陶製オブジェや食器シリーズが生み出され、世界のインテリア・アートファンの間でも大きな反響を呼びました。
ART / Today @Gagosian Paris opens its first exhibition of Japanese-French artist Setsuko Klossowska de Rola’s sculptures and paintings. Earlier this week, she spoke with us about her influences, the exhibition and her collaboration with Astier de Villatte https://t.co/x1YTL1uSSA pic.twitter.com/6csGLplSx3
— Design Anthology (@DesignAnthology) April 11, 2019
日本の伝統とヨーロッパの芸術を融合させたマダム節子さんならではの世界観が、その暮らしのひとつひとつから伝わってきます。
84歳となった今も、その創作への情熱は衰えるどころかますます輝きを増しているように思えますよね♪
引き続き注目していきたいと思います。
- 1962年のバルテュスとの出会いから始まり、ローマ・スイスと続く壮大な経歴
- バルテュス財団名誉会長・ユネスコ平和芸術家として、現在も画家・随筆家・作陶家の第一線で活躍中

ユネスコ平和芸術家の称号まで持っているとは……!
経歴を追えば追うほど「すごい方だ」と感嘆するばかりです。
84歳でこれだけ精力的に活動されているのも、本当に尊敬します。
【まとめ】バルテュス財団名誉会長”マダム節子”の本名は出田節子で年齢は84歳!wiki風経歴とプロフィールをおさらい
今回は、マダム節子さんのwiki風プロフィールと経歴についてまとめてきました。
日本での本名(旧姓)が出田節子(いでたせつこ)であること、1942年生まれの現在84歳であること、そしてフランス語学科での学びが20歳での運命的な出会いへの扉を開いたことなど、改めて振り返ると、人生の転機ってどこに潜んでいるかわからないものですよね。
- マダム節子さんの日本での本名(旧姓)は出田節子(いでたせつこ)、現在の正式名はセツコ・クロソフスカ・ド・ローラ
- 年齢は2026年現在で84歳(1942年生まれ)
東京都出身 - 森村学園高等部→上智大学外国語学部フランス語学科という学歴が、バルテュスとの出会いの素地に
- バルテュス財団名誉会長・ユネスコ平和芸術家として、現在も画家・随筆家・作陶家として活動中

「マダム節子」さんを追いかけるうちに、こんなにも豊かな人生の生き方と出会えました。
スイスのグラン・シャレで今も創作を続けるその姿を、これからも追いかけていきたいと思います!
プロフィールだけでは見えない生活背景や家族関係については、こちらの記事で詳しく解説しています。

参考資料


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