みなさんこんにちは!
山手線に乗っていると、目黒〜恵比寿間でふと目に飛び込んでくる、あの大きな赤い球体。
多数の芸能人が通ったことでも知られ、目黒・恵比寿エリアのランドマークとして長年親しまれてきたこの”日の丸自動車学校“が、2027年3月31日をもって閉鎖することが発表されました。
- 「なぜ閉鎖するの?」
- 「あの赤い玉も見納めになってしまうの?」
と感じた方も多いのではないでしょうか。
そこで今回は、日の丸自動車学校がなぜ閉鎖するのか、その理由とこれまでの歴史について調べてみました。
読み終える頃には、日の丸自動車学校の魅力と閉鎖をめぐる背景がきっと分かるはずです。
▼この記事でわかること
- 1958年創業・日の丸自動車学校の歴史と目黒・恵比寿エリアでのシンボル的な存在感
- 山手線から見える赤い球体「サンバーストビル」の正体
- 閉鎖理由は「諸般の事情」のみ〜少子化・地価高騰との関係を考察

山手線に乗るたびにあの赤い球体が気になっていたので、閉鎖のニュースを見てびっくりしました。
跡地はどうなるのか?についても疑問の声が上がっています。

目黒区のランドマーク・日の丸自動車学校とは?1958年創業の歴史と赤い球体の正体
日の丸自動車学校とは1958年に創業した目黒区三田エリアの指定自動車教習所で、赤い球体のシンボルとともに地域に深く根付いてきたランドマーク的存在です。
ここからは、その創業の背景や、あの印象的な赤い球体の正体について、もう少し詳しく見ていきましょう。
日の丸自動車学校は1958年創業〜目黒・恵比寿エリアのシンボル的教習所
東京都目黒区にある日の丸自動車学校です。
赤い球体が目を惹きます👀#自動車学校 #空撮 #ec135 #東京新聞 #中日新聞 pic.twitter.com/I13rk38LoW— 中日新聞社航空部 (@csp_helicopter) August 23, 2024
日の丸自動車学校が産声を上げたのは1958年(昭和33年)。
目黒・恵比寿エリアで免許取得を支え続けてきた、68年の歴史を持つ教習所です。
最寄り駅は恵比寿駅と目黒駅の2駅。
どちらからも徒歩で通えるというアクセスの良さが、長年にわたって幅広い世代に選ばれてきた大きな理由の一つでした。
路上教習のコースも、高輪・白金・広尾・渋谷・代官山・麻布・青山といった都心の主要エリアを走るルートが組まれていました。
SNSには「とにかく交通量が多くて鍛えられた」という声が多く見られますが、一方で「卒業後も都内を走るのが怖くなかった」という声もあります。
難易度の高さが逆に強みになっていたというのは、都心の自動車学校ならではの強みですよね。
個人的に調べてみて改めて感じたのですが、1958年というのは昭和33年。
マイカーがまだ庶民の手の届かない憧れだった時代に創業した自動車学校が、60年以上ずっと都会のど真ん中で走り続けてきたんですよね。
そう思うと、高度経済成長から令和まで、時代の移り変わりをまるごと見届けてきた場所なんだな、と胸にくるものがあります。
あのスバル360が発売されたのも、1958年なんですよね。
通っていたとされる芸能人も調べてみました!

山手線からも見える赤い球体(サンバーストビル)が名物〜芸能人のロケ地としても話題に
恵比寿から目黒。電車に乗ってる時ずっと気になっていた赤い玉。日の丸自動車学校って名前で納得したわ。そして泥んこ広場も近くにあった。これは子ども大喜び親大変そうw pic.twitter.com/3EFwtxWpk7
— ぺこな (@pekonam) May 5, 2026
日の丸自動車学校を語る上で欠かせないのが、建物にそびえる巨大な赤い球体です。
この構造物は通称「サンバーストビル」と呼ばれ、建築家の芦原太郎(あしはらたろう)さんが校名「日の丸」にちなんで設計したと言われています。
現在の建物は1996年の竣工で、山手線の目黒〜恵比寿間を走っていると、車窓の右手にいきなり現れる鮮やかな赤が目を引きます。
一度見たら忘れられないインパクトで、「あれ何?」と気になった方はきっと多いのではないでしょうか。
ちなみに、横から見ると建物は意外と薄いんです。
正面から見たときの圧倒的な存在感が、いかにデザインの力によるものかが分かって、調べてみてちょっと面白かったです。
そして、日の丸自動車学校といえば、芸能人御用達の教習所としても有名でした。
テレビや雑誌のロケ地として使われてきたほか、SNSには「教習中に有名人を何人も見た」「学科教習で芸能人と同じ席になった」といった経験をされた人もいるようです。
恵比寿という立地柄、芸能事務所や撮影スタジオが集まるエリアであることも関係していたのかもしれません。
そう考えると、あの赤い玉は目黒区に暮らす人たちにとって、単なるランドマーク以上の存在だったのだと改めて感じます。
- 1958年(昭和33年)創業、目黒・恵比寿エリアで68年以上愛されてきた指定教習所
- 赤い球体「サンバーストビル」は山手線からも見える目黒区のシンボル
- 多数の芸能人が通い、テレビ・雑誌のロケ地としても活用されてきた


通っていたとされる芸能人を調べてみたら、キムタクを見た!という声もありました。
日の丸自動車学校の閉鎖はなぜ?理由は「諸般の事情」のみで詳細は明かされず
まず結論ですが、日の丸自動車学校の閉鎖理由は、公式には「諸般の事情」とのみ説明されており、詳細は明らかにされていませんでした。
ただ、業界全体の状況やSNSの声を見ていくと、いくつかの背景が見えてきます。
一緒に考えてみてください。
少子化・若者の自動車離れ・都心の地価高騰〜業界全体で自動車学校の数が減少傾向
日の丸自動車学校の閉鎖の具体的な理由は、現時点で公式には発表されていません。
ただ、自動車学校をめぐる業界全体の動向を見ていくと、いくつかの背景が浮かんできます。
まず大きなポイントが、全国の自動車学校の数が年々減り続けているという現実です。
全日本指定自動車教習所協会連合会のデータによると、ピーク時(1991年)に全国1,477校あった指定教習所は、2023年末時点で1,236校にまで減少しました。
約30年で240校以上が姿を消した計算で、卒業生の数に至ってはピーク時から40%以上落ち込んでいます。
その主な要因として挙げられるのが、少子化による18歳人口の減少です。
免許を取得する中心世代の絶対数が減れば、入校者数が下がるのは必然的な流れですよね。
さらに、若者の自動車離れも無視できない流れとして続いています。
公共交通機関が発達している都心部では「車がなくても生活できる」という感覚が強く、免許の必要性を実感しない若い世代が増えているとも言われています。
そしてもう一点、都心の自動車学校に特有の事情として考えられるのが、地価の問題です。
目黒区の恵比寿・目黒エリアは、全国的に見ても地価が非常に高いエリアです。
教習コースを含む広大な土地を都心の一等地で維持し続けるコストは、年々大きくなっていたことが想像できます。
SNSでも
「あの立地で土地代がどれほどかかっていたか」
「時代の流れには逆らえなかったのでは」
というコメントが多く見られました。
もちろんこれらは推測の域を出ませんが、業界全体の縮小傾向と都心特有の地価上昇、その両方が重なっていたことは十分に考えられます。
「残念だけど、なんとなく理由は分かる気がする」というのが、調べ終えた後の私の正直なところです。
- 閉鎖理由は「諸般の事情」のみ〜少子化・自動車離れ・都心の地価高騰が背景として考えられる
- 跡地の公式発表はなし〜「再開発」「日の丸ヒルズ」などSNSで続報待ちの声多数

日の丸自動車学校の跡地がどのように活用されていくのかも気になりますよね。
【まとめ】日の丸自動車学校のなぜ閉鎖?理由やこれまでの歴史をおさらい
今回は、日の丸自動車学校の閉鎖について、その歴史から赤い球体の正体、そして閉鎖の背景まで調べてみました。
1958年の創業から目黒区を見守り続けてきた自動車学校が幕を閉じるのは、本当に寂しいことだと感じます。
- 日の丸自動車学校は1958年創業〜目黒・恵比寿エリアで68年以上愛された指定教習所
- 山手線から見える赤い球体は「サンバーストビル」と呼ばれる目黒区のシンボル
- 閉鎖は2027年3月31日〜理由は「諸般の事情」のみで少子化・地価高騰が背景と考察
跡地はどうなるのか?についてもまとめてみました。



山手線に乗る機会があれば、ぜひあの赤い玉を目に焼き付けておいてほしいなと思います。
長い間、本当にお疲れ様でした!
参考資料


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