みなさんこんにちは!
2025年12月13日放送の「新プロジェクトX」で、ミズノの吸湿発熱素材ブレスサーモの開発について取り上げられ、荻野毅(おぎのたけし)さんが登場しました。
新プロジェクトXを見て、荻野毅さんってどんな学歴や経歴の持ち主なんだろうと気になった方も多いのではないでしょうか。
私も調べてみたのですが、意外とまとまった情報が少なかったんです。
そこでこの記事では、荻野毅さんの出身高校や大学などの学歴、そしてミズノでの経歴についてまとめていきます。
この記事でわかること
- 荻野毅さんの出身高校について
- 荻野毅さんの出身大学は京都工芸繊維大学で山岳部に在籍していた
- 荻野毅さんのミズノでのwiki風経歴と現在の活動
以前放送された、新プロジェクトXでは『渋谷駅の再開発』について特集されました。
その際に活躍された、白石誠さんについてはこちらの記事でまとめています。

荻野毅(おぎのたけし)の出身高校や大学【学歴まとめ】
まず荻野毅さんの学歴について見ていきましょう。
荻野毅の出身高校はどこ?
結論からお伝えすると、荻野毅さんの出身高校については公表されていませんでした。
調べてみたのですが、荻野毅さんがどこの高校を卒業されたのかという情報は見つかりませんでした。
ミズノという大手企業で革新的な技術開発に携わった方ですから、きっと優秀な高校に通われていたのではないかと想像してしまいますね。
ただ、後述しますが京都工芸繊維大学という国立大学に進学されていることから、学力の高い高校に通っておられたのではないでしょうか。
高校時代からどのような道を歩んでこられたのか、もっと知りたいところですが、技術者として裏方で活躍されてきた方なので、プライベートな情報はあまり表に出ていないのかもしれません。
調べれば調べるほど、荻野毅さんという方は技術開発に人生を捧げてこられた職人気質の方なんだなと感じました。
高校時代からすでに理系の道を志していたのかもしれませんね。
ポイントまとめ
- 荻野毅さんの出身高校は公表されていない
- 京都工芸繊維大学に進学されたことから高い学力を持っていたと推測される

荻野毅の出身大学はどこ?
荻野毅さんの出身大学は、京都工芸繊維大学工芸学部色染科です。
1982年に卒業されています。
京都工芸繊維大学の同窓会資料によると、荻野毅さんは1982年に京都工芸繊維大学工芸学部色染科を卒業し、在学中は山岳・スキーのクラブに在籍していたことが明記されています。
色染科というのは、繊維や染色に関する専門的な知識を学ぶ学科なんですよね。
この学歴を知って、なるほどと思いました。
後にミズノで繊維素材の開発に携わることになる荻野毅さんにとって、大学での学びが直結しているんですよね。
吸湿発熱素材ブレスサーモという画期的な繊維を開発できたのも、この専門的な教育があったからこそでしょう。
京都工芸繊維大学は、「科学と芸術の融合」を掲げる工科系の国立大学です。
1949年に設立され、工学だけでなくデザインや建築も学べる特色ある大学として知られています。
実学を重視したカリキュラムで、ものづくりの現場で活躍できる人材を育てているんですよね。
そして注目したいのが、荻野毅さんが在学中に山岳・スキーのクラブに在籍していたという点です。
これは「ワンダーフォーゲル部」や「山岳部」といった登山系のクラブを指していると思われます。
ワンダーフォーゲルとは、ドイツ語で「渡り鳥」を意味する言葉で、山を中心とした自然の中でのアウトドア活動を行う部活動です。
登山だけでなく、スキー、沢登り、サイクリングなど幅広い活動を通じて、仲間との協力や自然との向き合い方を学んでいくんですよね。
荻野毅さんは後にスキーウエアの開発を担当することになりますが、大学時代にスキーに親しんでいた経験が、開発現場でどれだけ役立ったことでしょう。
実際に寒い環境で体を動かす経験があるからこそ、「本当に必要な機能は何か」が分かるんだと思います。
調べていて感じたのは、荻野毅さんの大学時代の経験すべてが、後のブレスサーモ開発に繋がっているということです。
専門的な繊維の知識と、実際に寒冷地でスポーツをする体験。
この両方があったからこそ、革新的な製品が生まれたんですね。
出典サイト
ポイントまとめ
- 荻野毅さんは1982年に京都工芸繊維大学工芸学部色染科を卒業
- 在学中は山岳・スキーのクラブに在籍し、アウトドア活動に親しんでいた
- 繊維の専門知識とスポーツ経験が後の製品開発に活かされている
荻野毅(ミズノ)のwiki風経歴まとめ
続いて、荻野毅さんのこれまでの経歴を見ていきましょう。
| 名前(読み方) | 荻野毅(おぎのたけし) |
| 出身大学 | 京都工芸繊維大学工芸学部色染科 (1982年卒業) |
| 入社 | 1982年 ミズノ株式会社 |
| 主な担当 | スキーウエア開発 スポーツアパレル素材開発 ブレスサーモ開発 |
| 資格 | 技術士(繊維部門) 博士(工学) 繊維製品品質管理士 |
| 受賞 | 繊維学会技術賞 |
| 現在 | 大学講師 繊維製品消費科学会理事 |
荻野毅さんは1982年に京都工芸繊維大学を卒業後、同年ミズノ株式会社に入社されました。
入社当初から、スキーウエアを中心としたウインター関連のウエア素材開発に従事されたんですよね。
1980年代から1990年代初頭は、日本が空前のスキーブームに沸いていた時代です。
ポイントまとめ
- 荻野毅さんは1982年にミズノ入社後、スキーウエア開発を担当
- 1992年にN-38繊維と出会い、ブレスサーモ開発をスタート
- 1997年に一般向け発熱肌着を発売し大ヒット
- 2001年に繊維学会技術賞を受賞
- 現在は大学講師として次世代育成に尽力
【まとめ】荻野毅(おぎのたけし・ミズノ)の出身高校や大学はどこ?wiki風経歴
今回は、ミズノでブレスサーモを開発した荻野毅(おぎのたけし)さんの学歴と経歴についてまとめてきました。
出身高校については公表されていませんでしたが、京都工芸繊維大学という国立大学に進学されていることから、高い学力をお持ちだったことが分かります。
そして大学で学んだ繊維の専門知識と、山岳・スキー部での実体験が、後のブレスサーモ開発に直結しているんですよね。
1992年にN-38繊維と出会ってから、製品化まで5年。
多くの障壁を乗り越え、ついに1997年に発熱する肌着を世に送り出しました。
その技術は30年以上経った今も進化し続け、現在では「テックフィルブレスサーモ」という新素材にまで発展しています。
新プロジェクトXを見て、荻野毅さんのような技術者の情熱とチャレンジがあるからこそ、私たちは快適な生活を送れているんだなと実感しました。
この記事で分かったこと
- 荻野毅さんの出身高校は公表されていない
- 荻野毅さんは1982年に京都工芸繊維大学工芸学部色染科を卒業
- 在学中は山岳・スキーのクラブに在籍していた
- 1982年にミズノ入社後、スキーウエア開発を担当
- 1992年にN-38繊維と出会い、ブレスサーモ開発に着手
- 2001年に繊維学会技術賞を受賞し、現在は大学講師として活躍
最後までお読みいただきありがとうございました!



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