伝説の任天堂プレステが新プロジェクトXに!計画中止”幻”の理由とは?

みなさんこんにちは!

2025年10月11日に放送される『新プロジェクトX』(NHK)では、かつて任天堂ソニーが手を組んだとされる“幻のゲーム機”――任天堂プレステが特集されます。

今では伝説として語られるこのプロジェクトですが、

なぜ計画が中止となり、幻となってしまったのか?

そして、その裏でどんな人たちが関わっていたのか。

調べてみると、当時の開発背景や経緯について、意外とまとまった情報が少ないことが分かりました。

新プロジェクトXの放送をきっかけに「改めて知りたい」という声も増えています。

この記事では、任天堂プレステの誕生から計画中止に至るまでの全貌を整理し、2025年現在も語り継がれる“幻の理由”を分かりやすくまとめていきます。

この記事でわかること

  • 任天堂とソニーが手を組んだ幻の任天堂プレステ計画の内容
  • 任天堂プレステが中止になった理由とその背景
  • 幻の試作機の存在と、PlayStationへ受け継がれた技術

伝説の「任天堂プレステ」とは?新プロジェクトXで描かれる幻の計画

結論から言うと、任天堂プレステとは、任天堂とソニーが共同開発していた幻のゲーム機のことです。

当時のゲーム業界では、まだCD-ROMが一般的ではなく、スーパーファミコンの性能をさらに拡張しようという構想が進められていました。

この計画は1990年代初頭にスタートし、ソニー側の技術リーダー・久夛良木健さんを中心に、 CD-ROMを用いた次世代ゲーム機の開発が水面下で進められていたとされています。

任天堂は当初、この共同開発によって自社タイトルをCD-ROM化しようと考えていましたが、 結果的に計画は中止となり、“幻のプロジェクト”として語り継がれることになります。

実際に試作機(プロトタイプ)も制作されており、2025年現在も一部の実機が海外で保管・展示されています。

番組では、その貴重な資料や関係者の証言をもとに、当時の熱気や葛藤が再現される予定です。

開発には久夛良木健さん丸山茂雄さんなど、後のPlayStation誕生につながる重要人物も関わっていました。

どんな人物たちがこの計画を動かしていたのか、以下の記事もあわせて参考にしてみてください。

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私自身、この計画を調べていて驚いたのは、任天堂とソニーがかつて本気で“手を組もうとしていた”という事実です。

もしこの計画が実現していたら、今のゲーム業界の歴史はまったく違う形になっていたかもしれません。

ポイントまとめ

  • 任天堂プレステは、任天堂とソニーが共同開発していた幻のゲーム機。
  • 1990年代初頭にCD-ROM搭載型スーパーファミコンとして企画された。
  • 開発メンバーには久夛良木健さん丸山茂雄さんが関わっていた。

東芝の大橋正秀(おおはしまさひで)さんはどんな人?

大橋正秀さんは東芝の半導体研究者で、リアルタイム3D描画に挑んだ専用LSIの開発を進めていた方です。

当時はまだ試行錯誤の時代。

そんな中で生まれた東芝の3Dチップの発想が、ソニー側の構想と重なり、のちのPlayStationへつながっていきました。

実例として、東芝はGouraud Shadingに対応した3Dプロセッサを社外で発表。

研究段階から「家庭用でも3Dが動くかもしれない」という手応えが少しずつ積み上がり、ソニー×東芝の半導体協業へと広がっていきました。

要するに、東芝で育まれた3D LSIの発想と、ソニーの久夛良木さんを始めとする技術者たちの3D技術を生かしたゲームを作りたいという思いが、家庭用ゲームの大きな転換点を迎えました。

個人的には、研究者どうしが垣根を越えて語り合い、試作を重ねながら少しずつ形にしていく姿がとても印象的でした。

派手さはなくても、地道な積み重ねがいまのプレイステーションへつながっているのだと感じます。

ポイントまとめ

  • 大橋正秀さんは東芝で3D描画LSIを進め、ソニー側の構想と自然に重なっていった。
  • 学会・技術交流を入口に、研究段階の3D発想が家庭用ゲーム機へ少しずつ近づいた。
  • その流れは、PS初代〜PS2期の半導体協業へ静かに受け継がれていく。

幻の「任天堂プレステ」が誕生しなかった理由を探る【計画中止の真相】

結論から言うと、任天堂プレステが実現しなかった最大の理由は、契約内容と主導権をめぐる対立にありました。

当時、任天堂とソニーはスーパーファミコン用CD-ROM拡張機の共同開発を進めていました。

しかし、ソニー側が提示した契約条項には

「CD-ROMソフトの販売・ライセンス権をソニーが持つ」

という内容が含まれており、 これに対して任天堂は

「自社のゲーム資産をソニーに管理される恐れがある」

と強い懸念を抱いたのです。

そして、1991年6月。

アメリカ・ラスベガスで開催されたCES(Consumer Electronics Show)において、 任天堂はソニーとの提携を一方的に解消し、オランダの電機メーカーフィリップス(Philips)との提携を発表します。

この出来事は業界内で「任天堂ショック」と呼ばれ、 ソニーの開発チームは会場で初めてその事実を知らされたと言われています。

つまり、共同開発の途中でパートナーを入れ替えた形です。

フィリップスとの提携によって、任天堂はCD-i(Compact Disc Interactive)技術を利用する予定でしたが、 最終的にこのCD-ROM機構も商業的に成功することはなく、 結果的に任天堂もソニーも別々の道を歩むことになりました。

この別れを機に、ソニー側は独自開発に踏み切り、 のちに世界的大ヒットとなるPlayStationを完成させます。

まさに「失われた提携」こそが、新たなゲーム史を生み出したのです。

開発現場の中心にいた久夛良木健さん坂上陽三さんの視点から見ると、 この決意がどれほどの葛藤と新たな道への可能性を伴っていたかが伝わってきます。

当時の開発現場で何が起きていたのかは、以下の記事でも詳しくまとめています。

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個人的には、ソニーが“情熱”を糧に自社ブランドを築いた姿勢に心を打たれます。

このような出来事がなければ、いま私たちが知るPlayStationの誕生もなかったでしょう。

ポイントまとめ

  • 任天堂は1991年、フィリップス社との提携を発表し、ソニーとの契約を終了
  • ソニー側の契約条件(販売権・主導権)が対立の引き金となった。
  • この別れがのちのPlayStation誕生へとつながる歴史的転換点となった。

幻の任天堂プレステ、その後どうなった?発見された試作機の物語

結論から言うと、任天堂プレステの試作機は実在しており、現在も現存しています。

計画が中止となったあとも、開発チームの一部ではプロトタイプ(試作機)の制作が進められていました。

1990年代後半、アメリカで1台の試作機が偶然発見され、世界中のファンや研究者の間で話題となります。

この個体は、CD-ROMドライブとスーパーファミコンのカートリッジスロットを兼ね備えた構造で、 まさに任天堂とソニーの技術が融合した唯一の存在でした。

発見者は、かつてソニーの開発部門に勤めていた社員の息子で、 その家の倉庫から機材を整理していた際に偶然見つかったといわれています。

当初は真偽不明とされていましたが、分解検証の結果、 内部基板に「Sony」「Nintendo」両方のロゴが刻まれていたことが判明。

世界中のメディアがこのニュースを報じました。

2020年にはオークションに出品され、約36万ドル(日本円で約4000万円)で落札。

落札したのはゲーム保存活動を行うGreg McLemore氏(Pets.com創業者)で、 現在はアメリカのゲーム博物館に寄贈されています。

試作機の内部には、スーパーファミコン用ソフト『スーパーボンバーマン5』が入っており、 電源を入れるとCDドライブが回転し、当時の起動音が再生される様子も確認されています。

この音が後のPlayStationの起動音デザインへとつながったという見方もあり、 開発者インタビューでも「確かにあの音は“つながっている”」と語られています。

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こうして幻の試作機が発見されたことで、当時の「任天堂とソニーの夢の共演」が 現実に存在していたことが証明されました。

失われたはずの歴史が、30年の時を経て再び息を吹き返した瞬間でしたね。

ポイントまとめ

  • 任天堂プレステの試作機は実在し、2020年に約36万ドルで落札。
  • 内部には「Sony」「Nintendo」両方のロゴが刻まれていた。
  • この試作機の設計思想は、後の初代PlayStationにも受け継がれた。

【まとめ】任天堂プレステ計画中止の理由と、今なお語り継がれる“伝説”

任天堂とソニーが手を組んでいた「任天堂プレステ」計画は、 わずか数年で幕を閉じたものの、その影響は今なおゲーム業界に色濃く残っています。

契約条件や主導権をめぐる対立から始まった問題は、 結果的にソニーが独自にPlayStationを生み出すきっかけとなりました。

もしこの計画が続いていたら、いま私たちが遊んでいるゲームの世界はまったく違う形になっていたかもしれません。

そして2025年現在、幻と呼ばれた試作機が実際に存在し、展示されているという事実が、あの時代の技術者たちの情熱を今に伝えています。

どんな経験もまた、次の革新を生む“原動力”になる。

任天堂プレステの物語は、まさにその象徴といえるでしょう。

この記事でわかったこと

  • 任天堂プレステは、任天堂とソニーが共同開発していた幻のゲーム機。
  • 契約や主導権をめぐる対立で計画は中止となり、任天堂はフィリップスと提携。
  • これがきっかけとなり、PlayStation誕生のきっかけとなった。
  • 試作機は現存しており、2020年のオークションで落札・保存されている。

新プロジェクトXに登場した人物や関連する話題は、以下の記事でさらに詳しく紹介しています。

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長い時を経てもなお語られるこの“幻の共演”は、 ゲーム史の中で決して消えることのない伝説です。

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