みなさんこんにちは!
2026年5月19日放送のプラチナファミリーに、三重県松阪市の豪商一家が登場です。
豪邸には勝海舟の航海日記や直筆の手紙など、歴史的なお宝がずらりと眠っているそうなんです。
そんな豪商とは、
「いったいどの一家なんだろう?」
と気になった方も多いのではないでしょうか。
そこで今回は、三重県松阪市の豪商で勝海舟とも交流のあった”竹川家”と、その当主竹川竹斎について調べてみました!
読み終える頃には、竹川竹斎という人物の奥深さと、勝海舟との驚きのつながりもまるごとわかるはずです。
▼この記事でわかること
- プラチナファミリー登場の松阪市の豪商が竹川家と予想できる根拠
- 竹川竹斎のプロフィールと竹川邸の場所
- 地域を救い続けた竹斎の功績とは?
- 竹川竹斎と勝海舟の関係と江戸無血開城への影響

勝海舟の手紙が豪邸に眠っているなんて、いったいどんなプラチナファミリーなんでしょうか?
プラチナファミリーに登場の三重県松阪市の豪商は誰の家?登場するのは竹川家と予想!
今回のプラチナファミリーに登場する三重県松阪市の豪商は、竹川家と予想しています。
ここからは、そう予想できる根拠を詳しく見ていきましょう。
プラチナファミリーに登場するお宝から”竹川家”と予想できる理由
公式には出演家族の名前は明かされていませんが、番組表に記載されたお宝の内容から、竹川家と予想する根拠がいくつか見えてきます。
今日のプラチナファミリーの豪邸には以下のお宝が存在するとのこと。
- 勝海舟の航海日記
- 勝海舟からの手紙
- 赤穂浪士47士が討ち入り前夜にかいた書
- 小栗上野介に関する手紙
- 奈良時代の木造百万塔
- 作者不明の仏像
このうち特に注目したいのが、勝海舟からの手紙と小栗上野介に関する手紙の2点です。
松阪市の公式サイトには、竹川家に所蔵されている「勝海舟からの手紙」が掲載されていました。
もう一点、小栗上野介(勘定奉行・小栗忠順と竹川竹斎には直接の接点があります。
つまり、竹川家には勝海舟の手紙が現存していて、小栗上野介とも幕府公式の場でつながりがある。
この2点が重なった時点で、今回の豪商一家は竹川家ではないかと予想できるわけですね。
もちろん公式発表ではないので、放送を見てからご確認くださいね!
竹川家・竹川邸の場所はどこ?三重県松阪市射和町の豪商一族
竹川邸があるのは、三重県松阪市射和(いざわ)町です。
射和は、古くから水銀の産地として栄えた地域で、伊勢商人発祥の地ともいわれています。
竹川家は竹川本家・新宅竹川・東竹川の三家から構成されており、竹川竹斎はそのうちの東竹川家の生まれです。
調べてみると、この射和の町並みに立ち並ぶ豪商の邸宅群は、それだけでも見ごたえがありそうでした。

竹川竹斎と勝海舟とのつながりも見ていきましょう。
伊勢の豪商”竹川竹斎”とは何者?wiki風プロフィール
竹川竹斎は、幕末から明治にかけて活躍した豪商です。
ここからは、その生涯と家系を詳しく見ていきましょう。
竹川竹斎の生涯と家系まとめ
竹川竹斎は、1809年(文化6年)に三重県松阪市射和の東竹川家に生まれました。
| 本名 | 竹川 政胖 (たけがわまさやす) |
| 生年月日 | 1809年(文化6年)5月25日 |
| 没年 | 1882年(明治15年)11月1日 (享年74歳) |
| 出身地 | 伊勢国飯野郡射和村 (現・三重県松阪市射和町) |
| 家業 | 両替商 (江戸・大坂に店舗あり) |
| 号 | 竹斎 (隠居後に称した) |
| 父 | 竹川政信 (本居宣長の門下) |
| 母 | 菅子 (国学者・荒木田久老の娘) |
商人でありながら学者や改革者の顔も持ち、また未来への先見の明を持った人物でもありました。
竹斎が著した『護国論』は幕閣も認めた開国論だった

竹川竹斎は、ペリー来航を機に『護国論』を著し、幕閣・朝廷の双方から高く評価されるほどの開国論者でした。
竹斎の考える「護国」とは、鎖国を解いて文明開化を果たすこと。
当時としては相当時代を先取りした、革新的な考え方です。
1866年(慶応2年)には、幕府の勘定奉行だった小栗忠順(上野介)に招致されて、外国米の輸入や海運について直接諮問を受けています。
一豪商がここまで幕府の中枢に意見を求められるのは異例のことだったんですよね。
伊勢商人として世界に目を向けてきた竹斎だからこそ、鎖国の限界を誰よりも早く肌で感じていたのかもしれません。

12歳で江戸に出て、国学から農政学まで修めた竹斎。
その知識の幅広さに、改めて驚かされますね。
竹川竹斎と勝海舟の関係とは?江戸無血開城との意外な繋がり
竹川竹斎と勝海舟は単なる知人ではなく、勝海舟の政治顧問という深い絆で結ばれた間柄でした。
竹川竹斎は勝海舟のパトロン兼政治顧問だった
松阪市の公式サイトでも、
国学や農政学を修めた竹斎は、勝海舟の政治顧問という立場で、日本の大転換期である明治維新に大いに関わりを持ちます。
と紹介されています。
開国を唱えた勝海舟の考え方の基盤となったのが、竹斎が著した『護国論』と『護国後論』。
現存する竹川邸には、勝海舟が贈ったとされる射和文庫の扁額も残っており、2人の深いつながりを今に伝えています。
商人と幕臣という立場を超えた関係。時代を先読みする者同士として、互いにひかれ合っていたんでしょうか。
Youtubeには、竹川竹斎について解説している動画もあったので参考になりました。

先見の明を持っていた竹川竹斎。
今の時代を見たら、どんな風に思うのでしょうか?
そんなことも調べていたら気になってしまいました。
【まとめ】伊勢の豪商”竹川竹斎”とは?プラチナファミリーに登場する三重県松阪市の豪商は竹川家だと予想!
今回は、プラチナファミリーに登場すると思われる三重県松阪市の豪商・竹川家と、その当主竹川竹斎について調べてみました。
プラチナファミリーをきっかけに竹斎のことを調べ始めたんですが、気づいたら幕末史の深みにはまっていました(笑)
- 勝海舟の手紙と小栗上野介との接点から、登場豪商は竹川家と予想

最後までご覧いただき、ありがとうございました。
参考資料


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